サムットプラカーンにあるお寺、ワット クローンプララームはアユタヤ後期に建てられ、当時は鐘の音が響き渡ることで有名なお寺でした。
地図
お寺はサッパサミット運河に沿いにあります。
この運河はチャオプラヤー河につながっていることから、アユタヤ時代は物流の他、軍隊の移動にこの運河が使われました。
ワット クローンプララームの歴史
アユタヤ時代の後期に建てられた「ワット クローンプララーム」は建設当初「ワットカムカムロム」とよばれていました。これは村人が15夜に鐘の音が響くお寺から名付けられたそうです。
その後、ラーマ1世の治世にお寺は改修されました。
1939年に運河の改修後にお寺の名称が変更され「ワット クローンプララーム」となりました。
境内にはタクシン王の武将、プラピチャイダープハク像は祀られています。
プラピチャイダープハクとは
プラピチャイダープハクはアユタヤ後期とトンブリ王朝に活躍したタークシン王の4人の武将の中の一人です。
プラピチャイダープハクは1741年にウッタラディット県に生まれ、幼少期は勉強に熱心に取り組む少年でした。
また勉学だけでなく剣術やキックボクシングに優れた才能がありました。
アユタヤ王朝滅亡の翌年1767年、プラピチャイダープハクはタークシン王とともにアユタヤを奪還しビルマ軍を駆逐しました。
そして、プラピチャイダープハクに生まれ故郷のウッタラディットの知事に任命されました。
1768年、タイを征服すべくミャンマー軍は約1万の兵力で侵攻を開始しました。
そのとき、プラピチャイダープハクは優れた軍の指揮を発揮し、ウッタラディットにてミャンマー軍の侵攻を食い止めました。
1773年、再びミャンマー軍のタイ侵攻が開始されました。
このミャンマー軍の侵攻に対してプラピチャイダープハクはウッタラディット防衛ために奮戦しました。
防衛戦でプラピチャイダープハクは鬼神の働きを見せ、持っていた刀は折れるまで激しい戦闘を行い、ウッタラディットの防衛に成功したことによりミャンマー軍のタイ侵攻を諦めさせました。
1782年、精神を病んだタークシン王が処刑されましたが、プラピチャイダープハクの貴族の地位は保証されました。
しかし、タークシン王に忠実であったプラピチャイダープハクは2君に仕えることを断り、自らを処刑を望むことでタークシン王に殉じました。
プラピチャイダープハクはタイの独立のために戦い、その誠実な人柄から今でもタイ人に尊敬されています。
今はワット クローンプララームの鐘の音を聞くことはできませんが、アユタヤ時代の鐘の音色はどんなだったのでしょう。
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