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舞踊に秀でた側室が修復したお寺:ワット ボロムニワート

  • 執筆者の写真: somutamu
    somutamu
  • 4 時間前
  • 読了時間: 2分

セーンセーブ運河沿いに建つ「ワット ボロムニワート」は即位前のラーマ4世や舞踊に秀でたラーマ5世の側室により修復されたお寺です。


地図

セーンセーブ運河ボーベー運河からバイクタクシーで7分


拝観時間:朝5時から夜8時まで



ワット ボロムニワートの歴史

ワット ボロムニワートはかつて「ワット・ボロム・スク」として近隣の村人たちによって建てられ、タイ王室に寄進されました。


その後、1834年に当時王子であったラーマ4世が「ワット・ボロム・スク」を王室寺院にふさわしいものにするため、即位する1851年まで修復工事を行い、お寺は「ワット ボロムニワート」と改名されました。


また、ラーマ5世(在位1868年ー1910年)の治世には19番目の側室であったチャオ・チョム・マンダ・トゥプティムとその子息により大規模な修復が行われました。


舞踊に秀でた側室

1857年12月9日に王族の娘として生まれたチャオ・チョム・マンダ・トゥプティムは6歳の頃から王族で演劇の達人タオ・ウォラカナンから演劇と舞踊を習いました。


この頃、王宮内では伝統舞踊の担い手が少ないことをに頭を痛めていたラーマ4世は新しい舞踊家の育成をしたいと考えていました。


この考えに王宮の高官たちはチャオ・チョム・マンダ・トゥプティムの優れた知性と芸術的才能を以前から見ていたことから王宮に迎えることをラーマ4世に進言しました。


こうして王宮に入ったチャオ・チョム・マンダ・トゥプティムは他の学問と共に熱心に舞踊の修行を積み、その優れた技量は王室内でも広く知られことでラーマ5世の側室となりました。


また、温厚な性格のチャオ・チョム・マンダ・トゥプティムは王室内で誰からも好かれており、彼女の礼儀作法は王宮の良き女性の模範とされていました。


こうしてラーマ5世との間に3人の子供をもうけたチャオ・チョム・マンダ・トゥプティムは、ラーマ5世が亡くなった後も側室の身分に相応しく寺院への功徳を積むなどを行いながら、海外旅行をするなど晩年を楽しみ1938年に80歳で亡くなりました。


セーンセーブ運河のボートから見た「ワット ボロムニワート」です。


駅やボート乗り場から離れていますが、機会があれば白い仏塔が印象的な「ワット ボロムニワート」を訪れてみるのはいかがでしょうか。

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