アユタのチャオプラヤー河沿いにあるポルトガル人村は1540年に建てられた聖ペトロ教会の跡の遺跡です。
調査により200体の遺骨やコインなど当時の生活用具が発掘され、遺骨の一部が発掘調査の当時のまま建物の中に保存されています。
地図
拝観時間:朝9時から夕方4時まで
(時間変更があります)
ポルトガルとアユタヤの関係
アユタヤ王国10代ラーマーティボーディー2世(在位1491年 ー1529年)の治世に当時タイ領であった現在のマレーシアのマラッカをポルトガル人が占領しました。
そしてポルトガル人のアジア総督はアユタヤ王に使節を派遣しマラッカをポルトガル領に認めてもらったことから両国の関係が始まりポルトガル人がアユタヤに来るようになりました。
そうしてこの地には多くのポルトガル商人が住むようになり、アユタヤ王国に雇われた120人のポルトガル傭兵が定住していたとの記録もあります。
アユタヤ王国はビルマとの戦争が頻発していました。
傭兵として雇われたポルトガル人は当時の最新兵器の鉄砲を持っていたことから幾度も戦場での勝利を挙げました。
その後多くのポルトガル人がアユタヤに住み続け1767年のアユタヤ王国の滅亡時には約4000人のポルトガル人が住んでいた記録もあります。
ポルトガル人村の敷地にあるチャオプラヤー河岸にこのようなものがあり
対岸をよく見ると日本人村がありました。
アユタヤの日本人村には江戸幕府のキリシタン弾圧から逃れてきた日本人もいました。
キリシタン達は小舟で河を渡りミサに参列していたのかもしれません。
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