アントーンにある「カムヤート宮殿」はアユタヤ王国35代ウトゥムポーン王(在位1758年)が過ごした宮殿跡です。
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わずか2カ月で退位したアユタヤ国王
ウトゥムポーン王子には兄であるエッカタート王子いました。
しかし、父であるボーロマコート王(在位1733-1758年)はエッカタート王子が暗愚でありもし王位を授けてた場合には王国に災難をもたらすと考えていました。
そこで知恵と知性を兼ね備えたウトゥムポーン王子を後継者に選びました。
1758年にボーロマコート王の崩御後に遺言の元、ウトゥムポーン王子がアユタヤ国王35代国王に即位しました。
しかし、先王の遺言にもかかわらず王宮の後継者争いの末、エッカタート王子が王位を要求したことからウトゥムポーン王はわずか2カ月で退位をしました。
そして退位したウトゥムポーン王は出家し「カムヤート宮殿」で読経の日々を送りました。
こうして1758年にエッカタート王子がアユタヤ王国36代国王として即位しました。
しかしながら、先王であるボーロマコート王の懸念したようにエッカタート王はビルマとの無用な戦を起こしました。
結局、ビルマ軍に攻め込まれたアユタヤ王国は都を包囲後に完膚なきまで破壊され1767年にアユタヤ王国は滅亡しました。
そして逃亡の末にビルマ軍に捕らえられたエッカタート王は10日間の断食の末に力尽きました。
この戦で「カムヤート宮殿」で読経の日々を送っていたウトゥムポーン王もビルマ軍により捕まりました。
こうしてビルマ軍に捕まったウトゥムポーン王は他の捕虜と共にビルマのインワに連れて行かれました。
そのインワの地でビルマ王はウトゥムポーン王に政治的野心や権力への執着がないことを見て取りました。
そのためウトゥムポーン王はビルマの地で僧侶として叙階されイェタパン寺院にて読経の日々を送り1796年にその生涯を終えました。
アユタヤ王国の歴史は王室の権力闘争や隣国との戦争が繰り返されています。
そんな歴史があるアユタヤ王国ですが、ビルマの地で僧侶に叙階されたウトゥムポーン王は読経の中で心や安らぐ日々を過ごしていたのでしょう。
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