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  • 執筆者の写真somutamu

パンタイ ノラシン:王が泣いた忠臣の船長

更新日:3月19日

パンタイ ノラシンはアユタヤ時代に実在した人物で、その誠実な人柄と自分の命と引き換えに法を守った忠心ぶりから、今なお多くのタイ人に尊敬され、その忠臣ぶりはドラマ化されています。


この祠、バンコクに住むタイ人にはよく知られており、後日、タイ人の友人にこの祠に行ったことを話すと「ああ、鶏の所ね!」と言っていました。

パンタイ ノラシンを祀った祠はサムットサーコンにありバンコクから車で1時間くらいで到着します。


パンタイ ノラシンとは

このパンタイ ノラシン祠ができたのは今から300年前のアユタヤ時代になります。


当時はサンペット8世(1661年ー1709年)がアユタヤ王国を統治していました。


この王は気性が荒いことからスア王(スアはタイ語でトラの意味、日本語ですと虎王になります。)とよばれ、キック ボクシングと釣りを好みました。


1704年のある日スア王はサムットサーコンにあるコークカム運河に王室御座船を用いて釣りに来ました。


そのとき、王室御座船の操縦を任されたのが パンタイ ノラシンです。


しかし、当時の運河は狭く曲がりくねっていたために操船が難しい場所でした。


ノラシンは注意深く操船を行いましたが運河の曲がり角で王室御座船の船首ぶつけてしまいました。


当時の法では王の乗った船をぶつけた場合,処刑との決まりでした。


しかしながら、スア王はこの運河が狭く操船が難しいのでノラシンに責任はなく事故は避けられなかったと言い、パンタイの罪を許そうとしました。


そこでスア王はノラシンのために身代わりの泥人形を作り、その泥人形の首を刎ねたことでノラシンの処分を終えるつもりでした。


しかし、罪を許されたノラシンはスア王の寛大な処置に感動しつつも納得できませんでした。


そして、ノラシンは「陛下、何があっても国法をまげてはいけません。それでは後々、示しがつきませんし、災いになるかもしれません」と言い、自身への極刑を望みました。


やむなくスア王は泣く泣く法に従いノラシンに処刑を命じ、その誠実な忠臣ノラシンを弔うために祠をつくりました。

その後、スア王はノラシンの妻子に多くの恩賞を与えました。


そしてノラシンの誠実さを悼み、サンペット8世からサンペット9世の治世に安全性と利便性がある新しいコークカム運河の工事が行われました。


この新しいコークカム運河の建設には約3万人の労働者が働き、幅5m、深さ6mの新しい運河が完成しました。

この祠の敷地内にアユタヤ時代に使われていたと思われる古い船があります。


この船の長さは19メートルで幅2メートルあります。


アユタヤ時代にこの船は主に兵員の輸送に使われていたとされています。


そのため、コークカム運河は軍隊移動には重要な役割をしていました。

船の後ろには女性の像が祀られています。


この像は船の材料となった木の精霊を祀っています。

パンタイ ノラシン祠に来て驚くのは鶏の置物があちこちにあることです。


これは生前ノラシンが闘鶏を好んだために、多くの鶏の置物が祀られています。


タイのお寺では鶏の置物を祀っていることが多いです。


これは勝負事に勝つとの縁起物からきているそうです。


そのため、敷地内ではたくさんの鶏の置物が売られています。


祠の後ろはマングローブ林となっています。


この祠の周辺にはパンタイ ノラシンやスア王にまつわるお寺がたくさんあります。

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