タイでは5月下旬から10月下旬まで雨季に入り連日、猛烈なスコールに見舞われます。
昔のバンコクは運河が張り巡らされていましたが、それを埋め立てて道路を造りました。そのためスコールとなると水の逃げ場がないためにすぐに道路が冠水してしまいます。
また洪水による毎年、雨季にはタイ全国各地で住宅浸水や農耕地への被害があり、タイの民間保険では洪水保険があります。
(商魂たくましい屋台のおばちゃん!)
この時期になると住宅浸水を防ぐために家の入口の前や道路を土嚢で堤防を作ることが多いのでホームセンターでは土嚢袋が売り切れになることが多いです。
タイ政府も洪水対策を行っていますが、自然の驚異の力にはどうにもならないというのが現状です。
2011年 東北大震災とタイ
2011年3月11日に日本で起きた東北大震災のニュースがタイでも伝えられました。
震災のニュースを見たタイ人は口々に「日本への恩返し」といい、多くの義援金が集められタイ軍から救助隊が派遣されました。
しかし私はタイ人がいう「日本への恩返し」の意味がわかりませんでした。
そこで妻に聞いたところ、
妻は「タイで災害が起きた場合、日本がすぐに救援物資を送ってくれるのをタイ人は覚えているから、私も子供のときに田舎で洪水被害を受けたとき、日本からの救援物資の毛布とカップラーメンをもらって本当にありがたかった」とおしえてくれました。
2011年タイ大洪水と日本
2011年の雨季は降水量も多く北部で起きた洪水はタイ中央部を流れるチャオプラヤー河へ流れ込み7月から約3カ月の58県が洪水被害を受けました。
8月にタイ首相が被害地域への視察を行い8月20日には政府りよる洪水対策本部が設立されましたが、水の量は増え続けるばかりで有効な対策がないまま、アユタヤの工業団地は水没し、ドムアン空港も冠水のため利用ができなくなりました。
この大洪水で死者400名以上で230万人以上が洪水の影響を受け被害総額が約4,000億円となりました。
幸い我家は洪水の被害を受けなかったのですが、この写真を撮ったパトゥンタニーに住む妻の親戚の家は1メートル以上も水没し、また妻の同僚のアパートで下水が流れないなどの被害を受けてしまったため2カ月ほど我が家に避難をしていました。
この大洪水のニュースは日本でも伝えられ多くの義援金がおくられ日本政府から専門家チームが派遣されたことにタイ人からたくさんの感謝の言葉が送られました。
実際、当時私の行きつけの床屋のおっちゃんも
「俺も子供のとき田舎で災害にあったときに日本からの救援物資をもらってさ~、そんなわけで恩返しじゃないけど東北大震災のときに募金したんだ、でも今回の大洪水で日本からの義援金や専門家チームの派遣!!!俺、50バーツしか募金していないのが恥ずかしくなってきた、、、」
これに対して私も
「いやー金額じゃないから、気持ち!気持ち!」
(残念ながら新型コロナウイルスの影響で床屋は閉店してしまいました)
2011年12月23日
タイでは毎晩、夜8時にその日のタイ王室の活動がテレビで放送されます。
その日もテレビをつけているとアナウンサーが、
「本日、日本では天皇誕生日(現上皇様)になりますので、国王陛下(前国王ラーマ9世)の親書を持った侍従長が日本大使を訪問しました」
そしてラーマ9世からの親書には
「今回の大洪水において、日本からの義援金や専門家チームの派遣に対し厚く感謝をいたします。今、日本では東北大震災からの復興の最中とのことです。もし、我が国で協力できることがあれば遠慮なく申し出てください」
とお言葉を頂戴いたしました。
これに対し日本大使は
「東北大震災においてタイからの義援金や救助隊の派遣に日本政府及び日本国民を代表して厚く御礼申し上げるとともに、両国とも災害からの復興に協力していきましょう」
と返礼をいたしました。
そのころ日本では、、、
このようなタイ関連のニュースが放送されていました。
Comments