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ワット プララーム:アンコール様式の仏塔が建つお寺
「ワット プララーム」はユネスコによりアユタヤ世界遺産の認定された古代寺院の一つで、アユタヤ時代初期の建物です。

地図
「ワット プララーム」は王宮エリアの東側にあります。
入場券:タイ人20バーツ、外国人50バーツ
ワット プララームの歴史
1369年、アユタヤ王国初代ラーマーティボーディー1世が崩御し火葬が執り行われました。
葬儀の後、火葬が執り行われた場所にアユタヤ王国2代と5代のラーメースワン王が「ワット プララーム」を建立しました。

ラーメースワン王とは
このラーメースワン王は歴代アユタヤ王国の中で2回も王位に就きました。
1369年、父であるラーマーティボーディー1世の崩御により皇太子であったラーメースワンが王位に就きました。

しかし、ラーメースワン王はカンボジア遠征では失敗し、スパンブリ領主パグワの援軍の力を借りることによりカンボジア軍に勝利を得ました。
カンボジア軍に対し勝利をおさめたラーメースワン王ですが、アユタヤ王室内ではスパンブリ領主パグワの権威が高まったことからラーメースワン王は退位させられました。
そして1370年にパグワが王位につきアユタヤ王国3代ボーロマラーチャーティラート1世となりました。

1388年ボーロマラーチャーティラート1世が崩御し皇太子のトーンチャンがアユタヤ王国4代目の王に就きました。
そこで退位させられていたラーメースワンがクーデターを起こしためトーンチャン王はわずか7日間で退位し、ラーメースワンはアユタヤ王国5代目王として再び王位に就きました。

15世紀にアユタヤ王国10代ボーロマトライローカナート(1431年ー1488年)は「ワット プララーム」の大規模な改修を命じ、約1年かけて1434年に完成しました。
その落成式には国中の僧侶がよばれ3日間にも及ぶ式典が行われたとされています。

「ワット プララーム」の仏塔はアユタヤ初期に建てられたために、カンボジアのクメール文化の影響を受けています。

そんな「ワット プララーム」も1767年のアユタヤ王国滅亡にビルマ軍の破壊を免れることはできなかったのでしょう。
境内には崩れた仏像が置かれています。

多くの仏像がビルマ軍の破壊と長い間の風雨により自然に戻ろうとしています。
