「ワット パイチャヨン ポンセープ」はラーマ2世(在位1809年ー1824年)の治世に建てられたタイ王室管理第2級の美しい本堂や中国美術が合わさった寺院です。
地図
拝観時間:朝8時から夕方4時半まで
(時間変更があります)
ワット パイチャヨン ポンセープの歴史
ラーマ2世は「ワット パイチャヨン ポンセープ」のあるサムットプラカーンのプラプラデーン地区をバンコク防衛と貿易の重要拠点と考えました。
その都市計画をラーマ1世の17番目の息子、ボヴォーン マハ サクディポル セプ王子(1785年ー1832年)に命じました。
王子の指揮のもと都市計画は進みプラプラデーン地区には運河やいくつかの砦が築かれました。
そんな都市計画の中でお寺が建設されラーマ2世により「ワット ワンナ」とよばれていました。
境内にはクリーム色の仏塔があります。
後にボヴォーン マハ サクディポル セプ王子はラーマ3世の治世にもタイ王室で重要な役職にいました。
ラーマ3世(在位1824年ー1851年)は中国貿易にて莫大な富を築いたこともありお寺の各所に中国文化を反映しています。
このような狛犬も中国文化の影響を受けています。
よく見ると日本の狛犬にも似ています。
その後ラーマ4世(在位1851年ー1868年)によりお寺の名前が変更され「ワット パイチャヨン ポンセープ」となりました。
プラプラデーン地区の開発を行ったボヴォーン マハ サクディポル セプ王子は1832年5月1日に亡くなりました。
そして1833年4月に葬儀が行われ7日後に火葬が行われました。
火葬後に遺灰はタイ仏教の習慣に従い河に流され、残った一部の遺灰は国王から下賜された黄金の骨壺に納められ王室菩提寺に葬られtました。
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