ビルマとの休戦交渉が行われたお寺:ワット ハッダーワート
- somutamu
- 3月13日
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アユタヤにある「ワット ハッダーワート」は1549年のビルマとの戦争で休戦交渉が行われたお寺です。

地図
境内の様子
歴史的に重要な役目が行われたお寺ですが、そのような歴史は関係なく境内は牛が草を食む牧歌的な光景です

が、、、
子牛に追いかけられ慌てて壁によじ登りました(-_-;)

休戦交渉が行われる
シースリヨータイ妃を失った1548年のビルマとの戦争で反撃に成功したアユタヤ軍に対しビルマ軍は捕虜とした2人の王子を返すことで退路の安全保障をする交渉が「ワット ハッダーワート」で行われました。
その後、アユタヤ王国17代チャクラパット王はビルマの侵攻に備えるために戦象を増やすために象狩りを行い7頭の白象を得ました。

白象戦争が始まる
1550年にバインナウンがビルマ王に即位するとアユタヤ王国に2頭の白象を要求しました。
チャクラパット王はこの要求を拒否したことから1563年に戦争が始まりましたが、アユタヤは敗北したことから白象4頭引き渡しチャクラパット王は退位しビルマの地で出家しました。

ビルマの属国へ
1568年、巡礼のためにアユタヤに戻ったチャクラパットは再び王位に就きビルマとの戦争を始めました。
しかし、ビルマ軍の対応は早く1568年12月にはアユタヤを包囲しました。

この包囲戦の中でチャクラパット王は亡くなり1569年にマヒンタラーティラートがアユタヤ19代の国王に即位しました。
しかし、完全に包囲されたアユタヤは陥落しマヒンタラーティラート王はビルマに連行中に亡くなったことからアユタヤ王国はビルマの属国となりました。

その後のアユタヤ王国
その後、ビルマはチャクラパットと共にシースダーチャンの暗殺に成功しピサヌロークの領主として功績のあったクン・ピレーントーンテープをアユタヤ王国20代マハータンマラーチャーティラート王として即位させアユタヤを統治させます。

そのマハータンマラーチャーティラート王の息子であるナレースワンがビルマに反旗を翻し1590年にビルマからの独立を果たしたナレースワンはアユタヤ王国21代として王位に即位します。
その後のアユタヤ王国は日本や中国だけでなくイギリスやフランスなどの国との貿易を行う東南アジアでの重要な国に発展します。
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