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  • 執筆者の写真somutamu

ワット アルン:朝日に輝く暁の寺

更新日:1月5日

ワット アルンは三島由紀夫の小説「暁の寺」で知られたタイの三大寺院の一つでタイ王室が管理するお寺でもあります。

ワット アルン

ワット アルンの名前はヒンドゥー教の神アルナに由来します。


そして ワットアルンの表面に施された装飾が朝の光を真珠のような虹色に反射させます。

ワットアルンへの行き方

ワット アルンへは地下鉄サナーム チャン駅で下車し、5分ほど歩くとワット ポーを左折すると5分くらいで船着き場に着きます。


が、、、


船着き場が見当たりません、、、


そこで近くのコーヒーショップのお兄さんに


私:「ワット アルンはどこ?」


お兄さん:「そこだよ」


私:「どこ、どこ?}


お兄さん:「そこ、そこ、そこ!!」


と奥にある古い建物を指を指さしました。

お兄さんに言われたとおりに行ってみると、

船着き場がありました!!!

船着き場から見るワット アルン、朝でなくともまばゆい光を放っています。


窓口のおばさんからに渡し賃4バーツ(約12円)を払い、手前にある船の出発を待ちます。

が、、、


こちらの船でした!

そして、この船長の操船で自転車で走るくらいのスピードでチャオプラヤ河を5分ほどで渡ります。

だんだんワット アルンが近づいてきます。

そして、船着き場を右に曲がるとワット アルンです。

ワット アルン の拝観料は100バーツ(約300円)です。


ちなみにタイ人は無料です。


そして、ワット アルンのパッケージの水がもらえます。


拝観時間:朝8時から夜6時まで。

こちらが本堂への入り口になります。

お堂の入口の横に二つの「ヤック」とよばれる鬼があります。


この「ヤック」、日本では人を食らう「夜叉」として恐れられていますが、タイでは王室を悪魔から守る守護神とされています。


そのため、タイのお寺では「ヤック」が祀られていることが多いです。


ワット アルンの歴史

ワット アルンはアユタヤ時代に建築されたとされ、ナライ王(1656-88)の治世にフランスの地図に示されていました。


アユタヤ時代に建てられたころ寺院はバンマコックの村にちなんでワット マコックとよばれていました。

アユタヤ王朝の崩壊後、ビルマ軍を駆逐したタクシン王は1767年にワット アルンのあるトンブリに到着したタークシン王は夜明けにこの寺院の前に通過しました。


そして、このお寺の改修を誓いワット チェンとしました。


寺院にはタークシン王の治世中、王宮が敷地内にありました。


寺院は1785年にラーマー1世により対岸にあるワット プラケオに移される以前はエメラルド仏像を祀っていました。

境内の庭には中国風の石造が置かれています。


これらの石造は中国からの貿易船のバラストとして使われていたものです。

こちらが本堂に安置されています仏像です。


この仏像の下にはラーマ2世の遺灰が収められています。


この仏像の上にもタイでは権威を表す9層の傘があります。


この本堂はラーマー2世によって建てられたとされています。

大空にそびえ立つ仏塔が圧巻です!!!


この仏塔がワット アルンで一番の特徴的な大仏塔です。

ワットアルン

この仏塔の高さは75mあり大塔を中心に4つの小塔が取り囲み、仏教の須弥山を表しています。


仏塔の上にはヒンドゥー教の神インドラの4つの彫像があります。

ワットアルン

仏塔の計画はラーマ2世の治世に始まり9年間の期間をかけてラーマ3世の治世の1851年に完成しました。


そして復元が終了したときラーマ4世によりは新しい寺院は「ワットアルンラーチャワララム」、通称ワット アルンとなりました。

ワットアルン

2013年から2017年にかけて修復作業が行われました。

仏塔の表面は陶器の破片で飾られいます。

仏塔の基壇の部分にラーマキエン物語に登場するヤックやガルーダ、ハヌマーンで飾られています。

また、このような彫刻も施されています。

仏塔からワットアルン(エメラルド寺院)が見えます。

仏塔の階段はかなり急なので、手すりを使ってください!

仏塔の近くのお堂や境内にはタークシン王(1734年4月17日ー1782年4月6日)が祀られています。

タークシン王とは

1765年ー1767年のビルマ軍の戦いに敗れたアユタヤ軍は、1767年4月にアユタヤが陥落しアユタヤ王朝は滅亡しました。


しかし、タークシンはタイ東部チャンタブリーに軍を集結させビルマ軍の隙をつき1767年11月にアユタヤを奪還しました。


そして、1768年に旧アユタヤ領を平定後にタークシンは王位につきワット アルンのあるトンブリに王朝を開きました。

しかしタークシン王は中国系であり、アユタヤ王朝の王家の血統ではないことに強いコンプレックスを抱いており、次第に精神を病むようになりました。


そのため、各地で反乱が起き、民心も離れていきました。


この時、民衆の支持があったマハー・カサットスック公爵(後のラーマ1世)がカンボジア遠征から戻り、1782年4月6日、タークシン王はマハーカサット・スック侯爵によって処刑されました。


その後、ラーマ1世は対岸のバンコクに遷都しチャックリー王朝を開きました。


このような悲劇のタクシン王ですが、ビルマ軍を追い払い国土を回復させたことから現在でもタイ人に尊敬されています。

ワット アルンは日陰が少なく暑いので境内にある喫茶店で一休みです!

ライチ ソーダ50バーツ(約150円)を注文しました。


ライチの甘酢ぱさとソーダの爽快感が乾いたスポンジのようになった体にしみこみ、細胞のミトコンドリアが喜んでいるくらい美味しかったです!!!


あっという間に飲んでしまいました。

帰りの船着き場です。このような注意書きがありました。

タイではスリや置き引きなどが多いです。


旅行や観光には十分注意をして楽しみましょう!!!


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