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タイ郵便の父が修復した寺:ワット パーヌランシー

  • 執筆者の写真: somutamu
    somutamu
  • 11月10日
  • 読了時間: 2分

「ワット パーヌランシー」は16世紀頃のアユタヤ王国中期に建てられと推測されており、建設当初は果樹園の中にあったことを意味するワット・クラン・スアンと名付けられました。


しかしアユタヤ王国が滅亡としたことからお寺は荒廃してしまいました。

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その後このお寺を訪れたパーヌランスシー・サワンウォン王子が荒廃ぶりを見たことから修復を行いお寺の名前も王子の名を冠した「ワット パーヌランシー」と命名されました。

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地図

地下鉄シリントーン駅から徒歩11分


パーヌランスシー・サワンウォン王子

「ワット パーヌランシー」を修復したパーヌランスシー・サワンウォン王子は1860年に生まれ軍務に就きました。


軍務に就いたパーヌランスシー・サワンウォン王子は親しみやすい性格から誕生日には多くの兵士からお祝いのメッセージや兵士達の肩に担ぎ上げられるように部下に慕われていました。

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この頃のタイはラーマ5世による近代化が推し進められていました。


そこでラーマ5世はパーヌランスシー・サワンウォン王子に郵便事業の創立を命じ1883年8月にバンコクに郵便局が建てられました。

ブログ記事「サムセンナイ郵便博物館」にジャンプします
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その後、ラーマ5世とラーマ6世の治世に枢密院議長に就き、ラーマ7世の治世に引き続き枢密院議長の顧問や海軍長官などを歴任し1938年に亡くなりました。

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アジア人初のF1ドライバー プリンスビラ

パーヌランスシー・サワンウォン王子の息子でピーラポンパーヌデート・パーヌパン王子(1914年ー1985年)はヨーロッパに渡り自動車レーサーとなりました。


そして1936年4月にモナコで行われてたレースに優勝したことから「プリンスビラ」とよばれました。

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第二次世界大戦にプリンスビラはレーサーとして復帰しました。


そして1950年から始まったF1グランプリにイタリアの自動車メーカーのマセラティのドライバーとしてシリーズ参戦し、プリンスビラはアジア人初のF1ドライバとなりました。

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「ワット パーヌランシー」でお参りをしてパーヌランスシー・サワンウォン王子の人徳を感じてみてはいかがでしょうか。

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