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  • 執筆者の写真somutamu

アユタヤの日本人村

更新日:2023年7月18日

1590年に即位したアユタヤ王国ソンタム王は日本の戦国時代に主を失い海を越えて来た600人ほどの浪人を傭兵として雇ったことからこの地に日本人村が形成されました。


地図

営業時間:朝9時半から夕方5時まで


(時間変更があります)


入場料:50バーツ

入口の左側にチケットカウンターがあります。

また浴衣のレンタルや園内ではカフェが併設しています。

園内には博物館があり当時の生活などを説明しています。


園内にはもう一か所博物館があります。


アユタヤ日本人村の歴史

アユタヤ王国の歴史は常にビルマとの戦争が続きアユタヤ王国ソンサム王(在位1590年ー1628年)は外国人傭兵でビルマとの戦争に対抗していました。

当初は鉄砲の扱いに慣れたポルトガル人傭兵を雇いましたが、ビルマもポルトガル人傭兵を使ったとこから双方が同士討ちを嫌ったために役に立ちません。


そこで戦国時代が終わり戦に慣れていた浪人を日本人傭兵として雇い、最盛期には南北570mで230mの日本人村には1500人ほどが住んでいました。

また鎖国以前の江戸幕府による貿易では傭兵以外に日本人貿易商や日本を追われたキリシタン、また現地のタイ人と結婚した配偶者や中国人の奴隷など8000人ほどが日本人村に住んでいました。

常にビルマとの戦争を繰り返してきたアユタヤ王国は品質の良い武器を必要としたことから日本の品質の高い刀剣などが輸入されました。

日本からの貿易は中国貿易をしのぐ勢いがあり現地の華僑には危機感がありました。


そんな状況で1610年にアユタヤの役人による不公平に不満を持った日本人傭兵500人が反乱を起こし王宮に攻め込みましたが、ソンサム王の説得により終息しました。


ソンタム王と日本人傭兵の反乱:ワット プラドゥー ソンタムについてはこちらをクリックしてください。


最盛期の日本人村

日本人村の貿易での刀剣だけでなく陶器や革製品などが輸入されその量は中国や他の国の貿易量をはるかにしのぐ量がありました。


また傭兵の中には山田長政のようにアユタヤ王室から爵位をもらい王室の人事に介入するなど大きな影響力がありました。


日本人村の衰退

しかしながら1629年に即位したアユタヤ王国プラーサートトーン王(在位1629年ー1656年)は自身の即位に反対した山田長政をタイ南部ナコーンシータンマラートへ左遷をしました。


また貿易に関しても王室の専売制とし日本人貿易商の力を削ぎました。

山田長政は左遷された地において1630年に戦死したとも暗殺されたともいわれています。


そして同年に日本人傭兵部隊に反乱の動きがあるとして根拠地である日本人村は焼き払われ住民は虐殺されました。

生き残った日本人は同地にて錫の貿易を行っていましたが、最盛期の勢いはなく18世紀にはタイ人と同化し日本人村は歴史の中に消えていきました。

当時、アユタヤの日本人村で故国を離れた日本人はどのような思いで生活をしていたのでしょう。


日本人村にある鯉のぼりがアユタヤの風の中で泳いでいました。

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