「ウボンラーチャターニー国立博物館」はラーマ6世(在位1910年ー1925年)の治世の1918年に県庁舎として建てられた歴史を感じる博物館です。

地図
開館時間:朝9時から夕方4時まで
休館日:月曜日、火曜日
入場料:タイ人20バーツ、外国人100バーツ
(時間変更があります)
館内の写真撮影は可能ですが、ビデオ撮影は禁止になっています。
博物館の様子
1918年に県庁舎として建てられたこの建物は1983年まで使われ、その後タイ美術局に引き渡され国立博物館となりました。

ウボンラーチャターニーの先史時代
タイ東北部のイサーン地方には古代遺跡などが発見されておりこのような古代の陶器や

石器などが発掘されることが多く

またこのような壁画が残されていることから

紀元前3000年からこの地に人が住んでいたと推測されています。

その後時代は青銅器などが使われ始め

このような人形も制作されています。

ドヴァーラヴァティー王国の文化と影響
その後、バンコクの隣にあるナコーンパトムを都とする6世紀から11世紀までタイではモン族によるドヴァーラヴァティー王国が成立します。

ここウボンラーチャターニーもドヴァーラヴァティー王国の文化の影響を受けていましたので様々な出土品が発掘されています。

ドヴァーラヴァティー王国も仏教を国教としていたので様々な仏像が作られました。

このようなゾウも祀られています。
現在でもタイのお寺で象を祀っていることが多いですが、タイ人が大昔からゾウに愛着を持っていたことが伺い知れます。

仏教文化のクメール帝国
その後、ドヴァーラヴァティー王国の衰退と共にタイはアンコールワットで代表される現在のカンボジアのクメール帝国の版図となりました。

特にジャヤーヴァルマン7世(在位1181年ー1218年)は仏教による民心の統治を目指したこともありクメール帝国に仏教文化が栄えました。

アユタヤ王国から現在まで
その後1351年にタイ中央部に勃興したアユタヤ王国によりウボンラーチャターニーもその版図に組み込まれました。

アユタヤ王国は1767年に滅亡しましたが、ウボンラーチャターニーはタークシン王朝を経て現在のチャクリー王朝の統治下となりました。

チャクリー王朝のもとでウボンラーチャターニーは総督により統治されていましたが、近代化を進めるラーマ5世(在位1868年ー1910年)により知事が任命されるようになりました。

タイ中央部のバンコクやアユタヤ、タイ北部のチェンマイなどと異なった様式のウボンラーチャターニーの伝統衣装が展示されています。

島国育ちの私にとっていろいろな民族の文化の影響を受けているウボンラーチャターニーの文化に興味深々でした。
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