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  • 執筆者の写真somutamu

ワット ラーチャブーラナ:政争に敗れた二人の兄を祀る寺

更新日:2023年5月26日

「ワットラーチャブーラナ」はトウモロコシ型のクメール様式の仏塔がそびえ立つアユタヤ時代初期に建てられてお寺で1424年、アユタヤ王国8代サームプラヤ―により、王位継承争いで亡くなった2人の兄を弔うために火葬を行った場所に建立されました。


地図

拝観時間:朝8時から夜6時まで


拝観料:50バーツ


(拝観料や時間に変更があります)


ワット・ラーチャブーラナの歴史

アユタヤ王国7代ナカリンタラーティラート王(1359年ー1424年)が崩御したとき、スパンブリー領主のアイプラヤ―、プレークシーラーチャー領主のイープラヤ―、チャイナート領主のサームプラヤ―の3人の息子がいました。

決闘の果てに

やがて、兄弟で王位継承の争いが起き3人の王子は象にまたがり決闘を行いました。


決闘の結果、長男アイプラヤ―と次男イープラヤ―は相打ちで亡くなってしまい、生き残った3男サームプラヤ―がアユタヤ王国8代の王位に就き二人の兄を弔うために「ワット ラーチャブーラナ」を建てました。



サームプラヤ―王とは

王位継承争い後に即位したアユタヤ王国8代サームプラヤ―王(1386年ー1448年)は現在カンボジアのクメール王国、アンコール トム攻略に成功しました。


そのとき捕虜として捕らえた大勢のクメール人官吏がアユタヤに連れて来られました。


それらクメール人官吏の影響によりアユタヤ王朝では王を神であるとするバラモン教の思想となり、王族の儀式もバラモン教となりそれらの思想や儀式は現在のチャクリー王朝でも引き継がれています。


またサームプラヤ―王の治世にスコータイ王朝をアユタヤ王朝に併合しました。

しかし「ワットラーチャブーラナ」もアユタヤ王国滅亡時にビルマ軍による破壊を免れることはできませんでした。

仏塔には階段があり上ることができます。

かなり急な階段です。


階段の上から女神様が見守ってくれていますが、足元にはご注意ください!

1956年「ワットラーチャブーラナ」は専門家の調査により地下聖堂が発見されました。


しかし、1957年に窃盗グループにより地下に埋蔵されていた多くの仏像や宝飾品が持ち去られました。窃盗グループは逮捕されましたが、持ち去られた財宝のほとんどが戻ることはありませんでした。


その後、専門家チームの調査により2千点以上の宝飾品と10万点以上の仏像が発掘され、それらはチャオ サーム プラヤ―国立博物館に納められています。

現在のタイ王室の紋章、ガルーダの彫刻があります。

「ワットラーチャブーラナ」は仏塔に上がることができますのでの、このような精巧な彫刻を間近で見てはいかがでしょうか!

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