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プレーの歴史ある神聖なお寺:ワット プラタート チョー ヘー

  • 執筆者の写真: somutamu
    somutamu
  • 12 時間前
  • 読了時間: 3分

1240年頃カンボジアのクメール帝国から独立したタイ族による初の王朝「スコータイ王国」が成立しました。


このスコータイ王国の歴代の王は仏教へ深く帰依したことから多くのお寺が建てられました。


そのようなこともあり仏陀の聖髪が納められた金色の仏塔がある「ワット プラタート チョー ヘー」はプレーの神聖なるお寺として多くの参拝客が祈りを捧げています。


地図

拝観時間:朝6時から夕方5時まで


(時間変更があります)


小高い丘の上にあるお寺

お寺まではこのような長い階段を上がって行きます。


ちなみに階段の両脇に虎の置物があることから寅年生まれの人には縁起がいいお寺とされています。


長い階段を上がると立派な山門があります。


タイは乾季になるとPM2,5の問題があるために遠くの山の稜線が霞んでしまいます。


ワット プラタート チョー ヘーとリタイ王

「ワット プラタート チョー ヘー」は後にスコータイ王国6代リタイ王(在位1347年ー1368年/74年)が副王であったころの1336年から1339年頃に建てられました。


リタイ副王はプレーに仏教を象徴するものが必要と考えており、仏陀の聖髪を納めた高さ33mの仏塔が建てられました。


リタイ王がスコータイ王国に即位以前には王国の衰退がしつつありましたが、リタイ王が即位後に王国の勢力を回復させました。


また仏教に深く帰依していたリタイ王はスリランカから高僧を招聘するなど仏教への手厚い保護をしたことから多くのお寺が建てられ、精巧な仏像が数多く造られました。


こうして仏教が栄えたスコータイ王国ですが1468年にアユタヤ王国に併呑されました。


1443年にチェンマイを都とするラーンナー王国9代目ティローカラート王(在位1442年ー1487年)によりプレーはラーンナー王国の領土となりました。


このプレーを治めたラーンナー王国の歴代の王も仏教保護の政策を行っていたことから「ワット プラタート チョー ヘー」も手厚い保護を受けました。


しかし、1558年にラーンナー王国もビルマの属国となると「ワット プラタート チョー ヘー」への手厚い保護もなくなったことから荒廃が進みました。


荒廃してしまった「ワット プラタート チョー ヘー」ですが、1924年にプレーの元知事が僧侶と再び以前のようにプレーの美しい神聖な場所すべく修復を行いました。


現在でも「ワット プラタート チョー ヘー」にはプレーだけでなく他県から多くの参拝客が訪れています。


リタイ王がこのお寺を建ててから何世紀も過ぎていますが、これからも「ワット プラタート チョー ヘー」は神聖な祈りの場として人々へ心のやすらぎを与え続けるのでしょう。

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