サムットプラカーンにあるタイ海軍博物館には近代化以前のタイ海軍の装備や日本に関係したものも展示されています。
地図
BTSタイ王立海軍兵学校から徒歩4分
開館時間:月曜日から金曜日まで朝8時半から午後3時半
土曜日と日曜日は朝9時半から午後3時半
(時間変更があります)
見学は自由にできますが、軍の施設ですので、入口でパスポートを預けないといけません。
タイ王立海軍の歴史
タイは昔から海上貿易を盛んに行っていました。しかし19世紀になるとイギリスやフランスなど列強諸国による東南アジアの国々が植民地化されました。
これに危惧したラーマ5世は近代軍事組織のために1887年に軍務省を創設しました。
しかし、1893年7月13日にフランスとラオス、カンボジア領有権問題が原因でパークナム事件、その後のフランス海軍による海上封鎖などの苦い経験から1911年にタイ海軍省が設立されました。
1933年に海軍省は国防省に編入され、海軍力の拡充に努めました。
そして、ヨーロッパ各国から軍艦の購入をはじめ、特に日本からは2千トン級の海防戦艦「トンブリ級海防戦艦」1番艦トンブリと2番艦スリ・アユタヤなどを購入しました。
しかし、タイとフランス領インドシナ紛争中の1941年1月に起きたコーチャン島沖海戦でタイ海軍の旗艦トンブリが大破、擱座してしまい、海軍の行動が不活発となりました。
戦後、タイ海軍は軍備を拡張し、空母やフリゲート艦などを有する東南アジアでは有数の艦艇をもつ海軍となっています。
博物館の正面に潜水艦の艦橋が展示されています。
潜水艦マッチャーヌ級
この潜水艦は「マッチャーヌ級潜水艦」で1937年から1938年の間に、三菱重工の神戸造船所で4隻が建造されました。
これらの潜水艦は1940年のインドシナ国境紛争では哨戒任務を行いました。
戦後、日本からの部品供給ができないことで1951年11月30日に4隻の潜水艦は退役となり、1番艦の「マッチャーヌ」の艦橋と単装砲が展示されています。
飛行艇も展示されています。
装甲車も展示されています。
海軍ということで水陸装甲車もあります。
タイは河川が多いのでこのようなパトロール艇もあります。
こちらが博物館の入口になります。
受付には係員がいて博物館の中を案内してくれます。
私を案内してくれた係員さんは英語が話せました。
しかし、外国人が一人で見学となりますと係員も少し警戒している様子、、、
ですので、
私:「実はミリタリーが大好きで、趣味でこんなのを作ってるんだ!」
と前夜に完成しばかりの空母「瑞鶴」のプラモデルの写真を見せると
係員:「お~すごい、すごい!!!自分で作ったんだ、きれいだね!!!」
と係員さんの表情も”なんだー ミリタリーマニアなのね~”といい感じですっかり係員さんの和気あいあいとなり見学ができました。
博物館の1階にはラーマ5世の御座船が展示されています。
こちらは速射砲です。
こちらは機雷です。パークナム事件でも使われてのでしょうか?
こちらは魚雷発射管になります。
館内は前近代海軍のものが展示されています。
こちらは船首にあるシンボルです。
旧日本海軍は菊のご紋章になりますが、タイ海軍はタイ王室の紋章ガルーダです。
こちらは当時の士官服です。
こちらは海兵隊の服です。
当時の船はこんな感じで、大砲の装填に時間がかかり発射速度も遅く、射程距離も短いものでした。
ですので、海戦の最後には敵の船に接舷し映画”パイレーツ カビリアン”のように敵の船に飛び移り白兵戦となることが多かったので、背中に刀をしょっています。
これは天測による船の位置を調べるための測定装置「六分儀」です。
この位置を基に航海長がコンパスと三角定規を使って航海図を作成します。
係員さんの説明では現在の位置の測定にはもちろんGPSを使用しているとのことです。
当時の潜水具です。
動きずらそう~
当時のタイ海軍は石川島播磨重工業で建造された水雷艇を使用していたと係員さんが説明してくれました。
向かい側にあるタイ海軍兵学校には1983年8月5日に日本の川崎重工神戸造船所で建造され、タイ海軍の旗艦を務めた海防戦艦「トンブリ」の艦橋と砲塔の一部が展示されたいます。
電車の車窓から「トンブリ」が見れますが、残念ながら、軍施設のためにタイ海軍兵学校の見学には許可証が必要です。
帰りのバンコク方面へのプラットホームへ向かう階段をあがっていると、タイ海軍兵学校の敷地にからタイ海軍旗が翻っていつのがみえました。
誰か軍関係の知り合いはいないかな~
妻の親戚で軍関係者がいますが、空軍の給養員としてご飯を作っているからな、、、
(でも、作ってくれたタイ料理はメチャメチャうまいです!!!)
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