淡いピンクの屋敷:ウォンブリー博物館
- somutamu
- 3月31日
- 読了時間: 3分
タイ北部プレーにあるかつて総督の一族が暮らしていた淡いピンクの屋敷は「ウォンブリー博物館」として一般公開されており当時の面影を伺い知ることができます。
現在「ウォンブリー博物館」は総督の子孫が管理しており1993年にタイ王室管理下のサイアム建築協会から優秀保全賞を受賞しました。

地図
開館時間:朝9時から夕方4時まで
定休日:日曜日
入場料:タイ人30バーツ 外国人60バーツ
結婚のお祝いとして贈られた屋敷
この屋敷はプレー総督チャオ・ピリヤテプウォンの息子の結婚の贈り物として1897年に中国の広東省の職人と地元の職人との協力で建設が始まりました。
そして1900年にチーク材をふんだんに使ったヨーロッパ風の白と淡いピンクを基調とした屋敷「クム・ウォンブリ」が完成しました。

19世紀の終わりから20世紀の初めプレーはチーク材の主要な生産地であったことから総督の一族はチーク材の貿易を通じて裕福な生活を送っていました。
そのようなこともあり現在でもチーク材を使った家具がプレーの特産品となっています。

ヨーロッパ風に建てられた屋敷ですが、タイの蒸暑い気候に対応するため多くの窓から風を入れ暑い季節でも涼しく過ごせるようにタイ建築様式も組み込まれています。

博物館の様子
この屋敷が建てられたころ、タイではラーマ5世(在位1868年ー1910年)の近代化に伴いタイも欧米文化が取り入れられました。

当時は上流階級のステータスであった狩りの道具が展示され

現在では保護対象として捕獲禁止のヒョウですが、昔はかなりの生息数がいたことがわかります。

蓄音機の奏でる音楽に合わせてダンスを踊っていたのでしょうか

柔らかそうなベットでの安眠は心地よかったのでしょう

上に桁に二つ玉のある古いそろばんがあり

一族が集まって演奏会が行われたのかもしれません。

総督の一族は公式の場所へはタイ北部の民族衣装で正装で出席していたのでしょう。

ヨーロッパ風の建物ですが、食事はタイ式です。
戦後、日本の生活様式も欧米風に変わったとはいえ、やはり日本人が畳の上でご飯に味噌汁が落ち着くのと同じなのかもしれません。

メーチャオブアタとは
こちらの肖像画に描かれた人物の「メーチャオブアタ」はプレー総督チャオ・ピリヤテプウォンの最初の妻です。
この二人には子がなかったため養子をもらった後に離婚をしメーチャオブアタは養子夫婦と共にこの屋敷「クム・ウォンブリ」で暮らしました。

ラーマ5世の近代化「チャクリー改革」により地方に派遣された中央政府の役人が行政を行うようになり各地の世襲総督は形骸化しました。
これに不満を持った離婚した元夫の総督チャオ・ピリヤテプウォンは1902年にタイ中央政府に対し反乱を起こしました。
しかし、反乱はすぐに鎮圧されチャオ・ピリヤテプウォンは当時フランス領ラオスの首都ビエンチャンに亡命し生涯タイに帰ることなく1912年にその地で亡くなりました。

こうして反乱は鎮圧されプレー最後の総督となったチャオ・ピリヤテプウォンですが、メーチャオブアタは離婚していたため反乱には無関係とされました。
そしてそのままプレーにて養子夫婦と共に暮らし1935年に屋敷「クム・ウォンブリ」で97歳の生涯を終えました。

晩年の「メーチャオブアタ」の穏やかな表情をした肖像画から養子夫婦に大切にされ幸せな日々を過ごしていたことが見て取れます。
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