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スコータイ王国の消滅と王家の子孫

  • 執筆者の写真: somutamu
    somutamu
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

繁栄を築いたラームカムヘーン王の治世ですが、後を継いだ4代ルータイ王(在位1323年ー1341年)はタイ北部モン族への討伐に失敗しました。


その結果、権威が落ちたスコータイ王国はラオスなど各地の領主の離反が相次いだことで衰退してしまいました。

ワット トラパン トーンラーン
ワット トラパン トーンラーン

リタイ王の治世

そのように衰退したスコータイ王国では1347年に起きた王位継承で武力闘争により勝利したリタイがスコータイ6代王(在位1347年ー1368年)に即位します。

カムペーンペット/ワット ボロム タートのリタイ像
カムペーンペット/ワット ボロム タートのリタイ像

王位継承権争いに武力を用いたリタイですが、その治世は上座部仏教の本家スリランカから高僧を呼ぶなど手厚い仏教保護政策を行い、多くのお寺を建設しました。


またリタイ自身も出家をするなど深く仏教に帰依し、この伝統は現在のタイ王室でも続いています。

ワット マハタート
ワット マハタート

こうした布教活動により民心を安定させたリタイのもとにかつて離反した各地の領主が戻ってきたことでスコータイ王国は以前の繁栄を取り戻しました。


また仏教保護政策を行ったことでスコータイ王国には再び仏教文化の花が開きました。

ワット トゥク
ワット トゥク

リタイの治世のタイでは1351年にタイ中部にアユタヤ王国が成立しました。


このアユタヤ王国は勢いは凄まじくマレー半島を全域を支配し、かつてインドシナ半島で影響力をふるったクメール帝国までも滅亡させてしまいました。

アユタヤ/ワット  プララーム
アユタヤ/ワット  プララーム

そのようなアユタヤ王国の破竹の勢いの領土拡張を見たリタイはスコータイ王国の防衛のため1362年にピサヌロークへ遷都を行いました。

ワット トゥク
ワット トゥク

スコータイ王国の消滅

1368年にスコータイ王国7代に即位したサイルータイ王(在位1368年ー1399年)はチェンマイを都とするラーンナー王国へ高僧を派遣するなど布教活動を行います。

ワット トラパン トーンラーン
ワット トラパン トーンラーン

しかし、サイルータイはカムペーンペットでカンボジアのクメール帝国を滅亡させるほど強力な軍隊を持つアユタヤ王国との戦いに敗れてしまいました。


その結果、スコータイ王国はアユタヤ王国の属国となり、その王国の領土はカムペーンペットとピサヌロークに分割されました。

アユタヤ/ワット プラ シー サンペット
アユタヤ/ワット プラ シー サンペット

1419年にマハータンマラーチャー4世がスコータイ王国9代に即位しますが、跡継ぎがないため王家は断絶し、1438年にアユタヤ王国に完全併合されたことでスコータイ王国は消滅してしまいました。

ワット プラユーン
ワット プラユーン

その後のスコータイ王家の子孫

1438年にスコータイ王国を併合したアユタヤ王国ですが、1569年にビルマの軍門に下りアユタヤ王家は断絶しました。


そこでビルマのタウングー王国のバインナウン王は傀儡国として統治するためにピサヌロークの領主マハータンマラーチャーティラートをアユタヤ国王20代として擁立しました。

アユタヤ/ワット ハッダーワート
アユタヤ/ワット ハッダーワート

このマハータンマラーチャーティラートこそスコータイ王家の子孫でした。


マハータンマラーチャーティラートは傀儡王に就いたことで人質としてビルマにいた息子の返還してもらいました。


この返還してもらった息子が後に勇名を馳せ、現代でもタイ三大王と呼ばれるナレースワンです。

ナレースワン
ナレースワン

1574年にナレースワンは挙兵をしますが、ビルマからの独立には至りませんでした。


しかし、1581年バインナウンの死去とともにタウングー王国の混乱を見たナレースワンは父のマハータンマラーチャーティラートともに再び挙兵し、1584年にアユタヤ王国が復活しました。

ワット シーチュム
ワット シーチュム

かつてアユタヤ王国に併合され消滅したスコータイ王国ですが、その王家の子孫によりアユタヤ王国は再び歴史の表に舞台に現れました。


そしてアユタヤ王国は1590年に21代国王に即位したナレースワンの治世に大きな繁栄を遂げるのであります。

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