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アユタヤ王国34代王ゆかりのお寺:ワット ハントラー

  • 執筆者の写真: somutamu
    somutamu
  • 11 分前
  • 読了時間: 2分

古都アユタヤにある「ワット ハントラー」はアユタヤ王国34代ボーロマコート王とゆかりのあるお寺です。


地図


ボーロマコート王とゆかりのあるお寺

農業国であるタイでは、アユタヤ王国の時代から米が主要な輸出品であり、当時は大量の米が中国に輸出されていました。


そのため、アユタヤ王国では「ワット ハントラー」で国王自ら脱穀し米の収穫を祝う儀式が行われていました。


この日、アユタヤ王国の第32代スリエーンタラーティボーディー王は、脱穀の儀式を行うために妊娠中の王妃を伴い「ワット ハントラー」を訪れました。


その儀式の最中に王妃が産気づき、生まれたのが後にアユタヤ王国34代となるボーロマコート王です。


そのようなことがあり王位の即位後にボーロマコート王は自身の誕生が由来した「ワット ハントラー」に大規模な修復を行いました。


アユタヤ王国34代ボーロマコート王

ボーロマコートは兄であるアユタヤ王国33代プーミンタラーチャー王(在位1709年ー1733年)の副王として政務で兄を支えていました。

ボーロマコート王
ボーロマコート王

しかし、病床に伏せたプーミンタラーチャー王が王位を継がせようとする王子と副王のボーロマコートの間で王位継承の争いが起きました。


この王位継承の争いに勝ったボーロマコートは1733年にアユタヤ王国34代として即位しました。


タイ仏教を復興する

16世紀から、アユタヤ王国はポルトガルやオランダなどのヨーロッパ諸国と活発な貿易を行い、多くのヨーロッパ人が定住してキリスト教などが広まったため、仏教が衰退しました。


その状況を目の当たりにしたボーロマコート王は、タイ仏教の復興を目指して、多くの僧侶をスリランカに留学させ、さらに多くの寺院の修復を行いました。


これによって、衰退していたタイ仏教が復興しただけでなく、かつてのようなアユタヤ王国の繁栄も取り戻しました。


その後のアユタヤ王国

こうしたボーロマコート王の仏教布教活動によって、アユタヤ王国は以前の繁栄を取り戻しました。


しかし、晩年のボーロマコート王の頃には相次ぐ反乱と王宮内での権力闘争が激化するなどアユタヤ王国の衰退がしていく中で、1758年にボーロマコート王はその生涯を終えました。


そして、ボーロマコート王の死後アユタヤ王国は衰退し続け、1767年にビルマ軍の猛攻を受け都アユタヤの街は徹底的な破壊を受け王国は滅亡しました。


アユタヤを訪れた際には「ワット ハントラー」でタイ仏教の復興に尽力したボーロマコート王の思いをはせてみてはいかがでしょうか。

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