眩い黄金の所蔵品の博物館:チャオサームプラヤー国立博物館
- somutamu

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古都アユタヤにある「チャオサームプラヤー国立博物館」には古代寺院ワット・マハタートとワット・ラチャブラナから発掘された仏像や黄金の装飾品などが展示されています。

この日は仏像が展示されて本館が閉館しているようで、黄金の装飾品を展示している別館「Ayutthaya Gold Treasure Exhibition Building」のみ案内されました。

地図
開館時間:朝9時から夕方4時まで
定休日:月曜日
入場料:タイ人30バーツ 外国人200バーツ
煌びやか黄金の装飾品
1351年にラーマーティボーディー1世(ウートーン王)がアユタヤ王国を開きました。

現在でもタイ中央部では水量が豊かなチャオプラヤー川が流れていることから年に3回も稲作が行われているように、アユタヤ王国時代にも稲作が盛んに行われていました。

その収穫された大量の米や内陸で伐り出された木材、鹿の皮などを満載したジャンク船がチャオプラヤー川を伝い東シナ海を渡って中国へ輸出されました。

17世紀に入るとヨーロッパ諸国との貿易が始まり、貿易で得た富で外国の贅沢品などが輸入されました。

また、アユタヤ王国の歴史は絶え間ない隣国ビルマとの戦いの連続でした、そのため貿易で得た富でヨーロッパから銃や大砲などを購入しました。

これら外国貿易は17世紀にはピークに達しオランダ東インド会社と中国商人がアユタヤ王国の主な取引先でした。

この17世紀には戦国時代が終わり行き場を失った武士がアユタヤ王国によりこの富によって傭兵として雇われビルマと戦い、また優れた武器として日本刀なども輸入されました。

そんな栄華を誇っていたアユタヤ王国ですが、18世紀になると王国の経済は急速に衰退しました。

そして、1767年にビルマ軍により都アユタヤは壊滅的な破壊を受け417年間続いたアユタヤ王国は滅亡し、これら多くの財宝がビルマ軍により強奪されました。

発掘調査が行われる
1956年から1957年にアユタヤのワット・マハタートとワット・ラチャブラナの発掘調査が行われました。

1956年に始まった発掘調査でワット・マハタートでは以前から盗掘が行われていた形跡があり多くの文化財が持ち去られていました。
しかし、地面が岩盤でできていたことから盗掘は地下10mで止まっていました。

そして、その後の発掘調査を進めた結果、地下17mの場所から多くの文化財が発掘されました。

一方、ワット・ラチャブラナでは

1957年に地下にあった多くの工芸品や仏像が盗掘されました。

その後、盗掘した犯人は捕まりましたが、盗まれた仏像や工芸品の多くがすでに売り払われた後でした。

そして回収された仏像や工芸品は、その後に行われた発掘調査で発見された財宝と共に「チャオサームプラヤー国立博物館」に収蔵されました。

このような眩い黄金の工芸品などが発掘されたことから、当時のアユタヤ王国が貿易立国として東南アジアの経済に強い影響力もっていたことが伺い知れます。





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